死に損ない。

私は15か16の時に、自宅の窓から飛び降りた。

その日は曇り空で、私が飛び降りた後に雨が降り始めた。

然程高くない二階の窓から飛び降りた瞬間の事はよく覚えている。

気づけば地面に叩きつけられて、鈍い痛みがじわじわと身体に広がっていった。

朱色に近い赤い血が視界に広がる。

動けぬまま、その場に倒れ、次第に雨が身体を濡らしていく。

寒い中倒れ続け、一時間ほどして、帰宅した家族が私を見つけた。

覚えている。記憶がある。

今でも、私は何故自宅の窓から飛び降りたのか、よく分からない。

けれど、その頃に私はひどく滅入っていた。

毎日毎日、朝目覚める事が憂鬱で、また夜は夜で、また明日が始まる事が悲しくて仕方なかった。

だれも分からないだろう。

そんな気持ち。

似たような思いならありふれてる。

けれど一緒はまったく無い。

意識のあるまま救急車で運ばれ、意識のあるまま手当をされる。

痛みと、身体のなかにある虚しさで充たされる。

死にたいなら、もっと高い場所へ行けばよかったのに。

自宅の窓から飛び降りた事を選択した私は汚い人間だ。

今でも、よく分からない。

けれどあの頃と変わらず相変わらず悲しい、虚しい。

それは変わらない。